商店会の歴史

東京メトロ丸の内線「新中野駅」に隣接する歴史ある街「鍋屋横丁」。鍋横大通商店会は、地元のみなさまに愛されて70年、地域に密着した商店街です。

鍋横思い出アルバム

鍋屋横丁史跡巡り

鍋屋横丁 由来碑

鍋屋横丁 由来碑 皆さん、鍋屋横丁の名前の由来は鍋を売る店が集まっていたからだと思っていませんか?実はその昔、ここは厄除けで有名なお祖師様(杉並区堀の内、妙法寺)の参道の入り口でした。江戸中期の頃より、引きも切らず参詣者がここを通っていたので、いつの頃からかここで一服と茶店が出来ました。屋号は「鍋屋」。おいしい草餅とこの辺りの美しい梅林が有名になり、たいそう賑わったそうです。昭和54年に鍋横大通商店会の結成30周年を記念して「鍋屋横丁」と刻まれた石碑が建てられ、その由来を伝えています。

道しるべ解説版

道しるべ解説版 永らく鍋屋横丁のシンボルで、この地の名前の由来ともなった茶店「鍋屋」の銘が刻まれたお題目石がありました。平成14年ビル建設に伴いゆかりの妙法寺に移設されたので、ここに道しるべがあった証として解説版が設置されています。

五社五成神社(ごしゃいなりじんじゃ)

五社五成神社 お願いが叶う「日限りのいなり」と伝えられてる五社五成の境内には、樹齢二百年を超える大銀杏の御神木があり、参拝の人がよく幹に手を当てて“気”をもらっています。鍋横のパワースポット、それが五社五成です。

慈眼寺(じげんじ)

慈眼寺 この地域にふるくからあり由緒あるお寺です。境内に入るとまず目に入るのが、金色に輝くパコタです。釈尊の遺骨一粒が奉安され、トーキョープラパトムチェディ(東京で最初の塔)と呼ばれ、東京における東南アジアの仏教徒の信仰を集めています。

杉山公園

あまりにも有名な公園、しかし意外なほど小さな公園です。地域の人々に憩いの場として利用され、年中行事でこども相撲大会、もちつき大会、秋のお祭りなどが行われています。平成22年地下に自転車駐輪場ができました。

水準点

水準点 鍋横交差点「おかしのまちおか」前歩道上に水準点なる聞きなれないものがあります。中野区に5ヶ所しかなく、土地の高さの動きを見るもので、毎年ここで変動量を調べています。

地下鉄「新中野駅」のうんちく

先日鍋横大通り商店会の忘年会の席で、映画「メトロに乗って」が公開された2006年当時の商店会の事柄で昔話に華がさき「あの頃はどうだった、こうだった」と一同大いに盛り上がりました。
その中で鍋横町会長からご教授いただいた「新中野駅」の由来についてのお話をご紹介します。

丸の内線の駅は大抵上下線で出入り口が2つです。(荻窪や新宿など乗換駅は別として中野坂上ですら最近まで2つでした。)ところが何故か新中野だけは上下線に出入口が2つづつで合計4つあります、どうしてでしょう?
そもそも昭和37年に丸の内線が全線で開通になる際、新中野も杉山公園寄りのどこかに上下線で1つづつ出入り口が出来る予定でした。

その頃の鍋屋横丁は相当賑やかな商店街でしたので、「鍋横にはこれだけ人が集まるのだから是非地下鉄の出入り口を通してくれ!」という商店会の強い要望で、当時の商店会長(エトー文具店前社長)のもと、運輸省か、どこぞの自治体か今となっては知る由もありませんが、掛け合って鍋横側にも駅の出入り口を誘致しました。

しかも駅全体の場所も当初の計画よりずっと新宿寄りに位置が移ったというから驚きです。
(後に周辺に様々な影響が出たのですが)とにかく杉山公園側と鍋横側に2つづつ出入り口が出来ました。
また、それ故に「南中野」となる筈だった駅名は、名跡変更を余儀なくされ、「鍋屋横丁」などの意見も上がりましたが却下され、大いに揉めた名跡問題もようやく「新中野」で落ち着いたのです。

当時の運輸大臣河野一郎氏の鶴の一声で決まったという逸話が残っている程です。
それにしても当時の鍋横大通り商店会は街も人も元気がありました、まだまだ街の商店会に力があった頃のお話でした。

Written by 高橋

鍋横大通り商店会青年部長 体験談

鍋横大通り商店街にまつわる偶然発見した特ダネをご紹介します。

2005年の11月末に伊東に仕事で行った折、いつも宿泊している旅館のある商店街を通り掛ると、何とそこには丸の内線、新中野駅の出入口があるでは有りませんか。
その場所は「あんじん通り商店街」といって昔から変わらない町並みの商店街なのですが、よく見ると、やけに昔っぽい商店も回りに出現していて、 何が何だかとても不思議な光景でした。訳が分からないまま旅館に入り女将に尋ねると、この回りで今日まで映画の撮影が行われたというのです。 なるほど、あれは全部映画のセットだった訳です。

慈眼寺

鍋横ではご存知の方も多いと思いますが、浅田次郎さんの「メトロに乗って」という小説があり、劇団音楽座の舞台にもなりました。
2006年の秋には全国公開される映画になるそうです。昭和39年の鍋屋横丁という設定で、地下鉄の出入口は元より、今はもうない映画館「中野オデヲン座」も再現されていました。

その当時を知る人は、懐かしさでいっぱいではないでしょうか。
撮影の間伊東中で評判になり、人集めの為かその当時の値段(1個5円)のコロッケを限定で100個用意したところ、300人以上の行列が出来たそうです。 また周辺の道路を通行止めにまでして撮影が行われたりとか、町ぐるみでの参加で大変な騒ぎだったようです。

慈眼寺

それにしても驚きでした。いつも仕事で行っている地方の小さな商店街で、全く関係ない筈の自分の住んでいる商店街が題材になり、映画のロケが行われていたのですから。何か因縁めいたものを感じ、居ても立っても居られなくなり、ここに紹介した次第です。
また、映画のセットは撮影後直ちに取り壊されてしまいましたが、「中野オデヲン座」だけは今も残っています(地図)。

追伸:オデヲン座の大部分は取り壊され、映画の看板を残すのみとなっていました。中野オデヲン座は現在のオデヲン中野パーキング駐車場(地図)にありました。

映画「メトロに乗って」の撮影記事(PDFへリンク)

映画「メトロに乗って」の撮影記事
映画「メトロに乗って」の撮影記事

Written by 高橋